津山の洋学者たち

岡山県津山市

この地から多くの洋学者を輩出した。

江戸時代中ごろから末にかけて、一種の雰囲気が醸成されていたと言える。


偉人は多い。

その中でも欠かせない人物がいる。「箕作 阮甫(みつくり げんぽ)」だ。


もともと津山藩藩医の家系。

12歳で家督を継ぐなど、苦労を重ねるが、同時に勉学にも励む。


そして、杉田玄白が「解体新書」を発行する前に、日本最初の医学書を刊行する等、医学の道で最先端を進んでおり、他にも語学・西洋史・兵学・宗教学と引き出しが多い。

 

 

彼の子孫には学者が多い。以下は一例。

・箕作省吾 地理学を専門とし、世界地図『坤輿図識』を著した。後に坂本竜馬木戸孝允らに影響を与えた。

箕作秋坪 物理学かつ音楽家。「さくらさくら」は彼の作曲による。

・菊池大麓 数学者かつ政治家。理化学研究所初代所長。


など、彼の系譜による学者の数は1000人を超えるという。

津山は上記の如く、洋学の町。蘭学の町。