おかめの話

今出川千本に「千本釈迦堂」という寺がある。応仁の乱の戦火を免れ京都では一番古い寺とされ、本堂は国宝に指定されている。



ここは現代人にもなじみがある「おかめ」の話が伝承される。


ここの本堂を造営する際、大工の棟梁であった長井飛騨守高次が代りのない柱の寸法を切り誤ってしまい困っていた。


それを見た妻のおかめが斗組(ますぐみ)を用いたらどうかとひと言アドバイスし、その結果無事に竣工させることができた。


しかしおかめは女の提案で大任を果たしたことが知れてはと上棟式を待たずに自害してしまった。


高次は妻の冥福を祈り宝篋印塔(おかめ塚)を建て、おかめの名にちなんだ福面を付けた扇御幣を飾ったとされる。


その後、大工の信仰を得るようになり今日でも上棟式にはお多福の面を着けた御幣が飾られている。

度重なる戦乱にも残った本堂とも結びつき厄除、招福のおかめ信仰につながっている



ちなみに「千本通り」というのは、昔このあたりに千本の卒塔婆があったから。


昔の用語で「千」とつく名前は、多いという意味があるが、この地は葬儀場であったことから納得である。


2月の節分の時期には、豆まきやおかめ音頭が踊られる。