呉という町

戦艦大和で有名な広島の「呉」。

この町はなぜか病院が多い。


明治以来、軍港として栄え第二次世界大戦を経験し、今なお造船所としての街を保っている。


もとは小さな漁村であった。それを時の司令官、東郷平八郎鎮守府に定め一気に栄えることになった。



瀬戸内海に面している平野地域は軍人及び関係者が居住し、漁民たちは追いやられ、山の斜面に居を構えた。


今も名残として、山の斜面に民家が多いのはそういうことである。
漁を生業にできない、漁民は山を越えて隣の街まで畑を耕していた人もいるそうな。


さて、1945年8月6日。広島に原爆が投下された日も、何気ない軍港の一日で終わるはずだった。
遠くの方で稲光が走り、爆音が呉の街にも及んだという。


もちろん広島市内は壊滅的な被害を受ける。
救助・治療を求める人は近隣都市へと流れる。
呉にも多くの被災者が流れ込み、一時は治療を待つ人であふれ返っていた。



多くの医者が呉の街へと行き、長い時間を経た。
現在、呉には小さい病院「○○医院」が軒を多く連ねる。


呉の街に残った多くの医者が独立開業しため、他の都市より多くの医院が存在する。
呉駅の広告を見ると、かなりの確率で「○○医院」の文字がある。


そんな歴史をもつ呉。